【インタビュー】看護師として小さな命を救う日々からベンチャーへ 〜一人一人の大切な命に向き合いたい〜劉 詩卉

詩人のように表現豊かで、花卉(植物)のように生命力の溢れるようにとの思いを込め、詩卉と名付けられた弊社の劉は、オフィスでもその人柄や花のような笑みに自然と周囲に人が集まります。
看護師として、日本の医療の最前線で活躍してきた彼女が、どうしてベンチャー企業への転職を決意したのでしょうか。 キュア・アップが提供する、専用アプリとオンライン指導を組み合わせた「ascure(アスキュア)卒煙プログラム」の指導員として、一人一人に親身に寄り添う指導をしている、劉のストーリーをお届けします。 語学を活かせる通訳かCAを目指していた ー看護師を目指したきっかけはなんですか? 出身は中国なのですが、小学校の頃から日本へ住み、母は看護師として働いていました。忙しく働き、留守がちな母を間近で見ていましたが、当時特に医療への興味は持っていませんでした。語学を生かして通訳の仕事かCA(キャビンアテンダント)になろうと思っていました。でも、大学卒業後の進路を真剣に考え始めた時、「手に職」をつけたいと思うようになったんです。その時に「医療」は全世界共通、身につければ世界中の人を救える仕事なのだと考え直し、母と同じ道に進もうと決めました。 ー看護師として働いた4年間はどんな日々でしたか? 看護師として国立国際医療研究センター病院のNICU(新生児集中治療室)やGCU(新生児治療回復室)、小児科外来で勤務をしていました。出生体重2300g未満の低出生体重児および36週未満の早産児の成長を見届け、退院への管理も担当していました。幼い命を扱う日々は本当に神秘的でした。その一方で、とても神経を使う職業でもありました。 その他にも、海外からの患者さんも多かったので、言語を活かし対応したり、実際にカンボジアへ看護支援に行く機会もありました。 ー大変な一方、やりがいも多く感じる看護師。転職のきっかけは? 看護師として様々な業務に携わって行く中で、自分は人に何かを伝えたり、指導することにやりがいを感じると気づいたんです。赤ちゃんが退院した後に自宅でどう過ごしていくのか、赤ちゃんとその家族へ指導や管理をすることは、NICUやGCUで重要な仕事の一つでした。それぞれの家庭環境にあった指導やアドバイスをできることに、とてもやりがいを感じていました。 と同時に、大きな病院だったこともあり、自分で何かを考え実際にそれを行動に起こすには少し…