前例は、自らつくる 〜 医師 兼 エンジニアとしてスタートさせたキャリア、その10年後の姿〜
岩手県生まれ。慶應義塾大学医学部在学中にプログラミングを習得し、卒業後は医師免許を取得しながら、ゲノム解析の研究室とWeb制作会社にてソフトウェアエンジニアとして研鑽を積む。2年の臨床研修を経て、2014年に大学の先輩であった佐竹晃太とCureAppを共同創業。最高開発責任者として、技術から医学的コンテンツ、医療機器開発、情報セキュリティ、デジタルトランスフォーメーションなど広く会社全体を指揮している。現在は開発統括取締役を務める。得意な言語はTypeScript。現在も福島市の須川診療所にて一般内科診療を行う。
「医師 兼 エンジニア」を活かしたくて創業
ーー創業から10年。改めて、なぜCureAppを共同創業することになったのでしょう?
当時私はコンピュータを使ってゲノムを解析という、医療とプログラミングの両方を活かした研究分野に進み研究をしていました。そんな時、大学の先輩であり当時米国留学中だった佐竹からの誘いを受けたのが最初のきっかけでした。
「薬のように、医師が処方して病気を治すアプリが作りたい」
医療とソフトウェア開発というキャリアを活かす仕事は他にもいくつもあり、実際に電子カルテの開発や予約システムの開発などの事業立ち上げに声をかけてもらうこともありました。ただ、どれも自分でなくても良いのではないかと感じていました。
ですがこの「治療アプリ」は、ソフトウェアによって医療の本丸である治療に直接介入するもので、医師の知識とソフトウェアの知識を深い部分で繋げて作る必要があるわけです。そういう意味で、医師でエンジニアの自分だからこそやる意義があるし、面白いチャレンジだと思ったんです。
医師 兼 エンジニア、苦悩の船出
ーー創業してから、実際には医師とエンジニアの両方を活かす仕事はできていたのですか?
創業当初は佐竹がプロダクトの方針を決め、私が実装するというスタイルでした。だから医師としての仕事というよりもエンジニアの仕事が主でしたね。ただ、ユーザーである患者さんや医師のイメージは湧くので、実装する中でそこは強みだったと思います。また、誰にどういうメッセージを出すかという詳しい部分は自分に委ねられていたので、やりがいはありました。
創業後3年になると、佐竹が開発から離れ、プロダクトの企画も指揮することになりました。いよいよ医師とエンジニア両方の掛け算の仕事ができるようになったと思います。
ーー当初から思い描いていた仕事ですね。苦労された点はありますか?
やはり、企画と実装両方のリーダーをするというのは大変でした。しかも複数のプロダクトがあったので、今振り返ると無謀な兼務をしていたなと。複数プロジェクトの企画、実装以外にも薬事、臨床開発も指揮しており、さらに組織マネジメントも担っていたので、やりがいというゾーンを超えて、心労になっていた時期もありました。それぞれの仕事を丁寧にこなすことができない悔しさもありましたが、その後、それぞれの権限をメンバーに委譲していきました。
新たなアイデンティティ「前例は、自らつくる」
ーー開発の権限を委譲して以降「医師 兼 エンジニア」は活かされているのですか?
もちろん活かされているとは思いますが、正直そこはもう意識しなくなりました。会社も大きくなり、自分だけの力で進むフェイズでもなくなりました。今はそれぞれのエキスパートが相互理解しながら会社の目標に向かって仕事ができています。トップとしてその文化の維持向上をすることが自身の役割だと思っています。
ーーではご自身の役割は変化されたということですね。他にもどのような役割をされていたのですか?
はい。開発以外の仕事の0→1の立ち上げも行いました。特に情報セキュリティやデータ基盤など、会社に必要な新しい機能の役割や組織を立ち上げました。ルールもゼロから作り上げました。他にもハードウェアの品質保証、品質管理や流通などにも携わりました。これらはもちろん過去には経験したことはない仕事です。自分たちは資源も豊富ではなく、また新しい領域で事業をしているので、いずれの仕事も独自で考えることが必要になります。ゼロベースで考えて、自分たちなりの答えにたどり着くことを粘り強くやっていきました。
ーー会社のバリュー「be Unique」と通じるところがありますね。
まさにそうです。これらの仕事を通じて、自分の役割というのは、「前例を自らつくっていく」姿勢であると思いました。最初は「医師 兼 エンジニア」として医師とエンジニアの密な連携ができる開発組織を立ち上げたわけですが、その後も多様な領域で、臆せず新しい仕組みを作ってきました。「前例は、自らつくる」
にアップデートしたんです。もともとは「独創性で業界をリードしよう」だったのですが、独創性とは目的にすべきことではなく、考え抜いた結果であると思ったんですね。新しい事業だからこそ、前例の模倣ではうまくいかないことが多いのですが、そこで考え抜いた結果、独創的になったとしても、それを恐れない勇気がこのバリューであると思います。そして、私はそれを最も大事にしている一人なのではないかと思っています。
ーーご自身の変化、成長を感じた10年かと思いますが、会社自体の成長や環境の変化についてはどうですか?
そうですね。まず、この10年で「治療アプリ」という新しい概念を生み出し、実際に医療機関で患者さんに処方されているということ、これは我々が掲げているビジョン「アプリで治療する未来を創造する」への大きな一歩だと思っています。新しい価値観を世の中に創り、浸透させるのは本当に大変です。でも、一緒に進めてきたメンバーがいたからここまでこれたなと感謝の思いもあります。
ーーそうですよね。メンバーとの関係性はこの10年で変化ありましたか?
昔からのメンバーが多く残っているわけではないのですが、昔と今では大きく変わったかなと思っています。一つは、自分がいい意味で現場から遠ざかったということです。私は考えを尽くしたいタイプなので、現場を指揮していた頃は細かいことにこだわってしまうことが多く、今振り返ると全体の進捗やメンバーのモチベーションに影響していたと思います。今は任せられるリーダーが揃ったため、彼らと日々ディスカッションしながらも、多くは現場の責任で判断してもらえています。
もう一つは、今は具体的な業務が明確になってきた分、その分野のプロフェッショナルが揃っているという点です。それぞれのバックグラウンドが異なるため、その分相互理解がより大事になります。皆が遠慮なく意見を言える空気づくりを意識しています。
ーー優秀なメンバーが揃い権限委譲が進むなかで、改めて自身の役割をどう考えますか?
マネジメントするからには、自分ならではの価値があるようにしたいと日々考えています。まず私はメンバーとディスカッションする際、CureAppが大事にしてきた価値観を体現するような視点で話すことを心がけています。組織文化は細部の判断にも効いてくると思っていますので、リーダーがその一貫性を示すことの価値はあると思っています。
あとは自由で活発な議論ができる雰囲気づくりです。様々な分野から来たメンバーたちが遠慮せず同じ目標に向かって議論ができることは事業を前に進めていく上でとても重要なことだと思っています。自身が医師でエンジニア、そして他にも様々な業務を経験したからこそ、それぞれの立場を理解しながらコミュニケーションのハブになることを心がけています。
要するに組織文化の土壌になるというところの仕事は、まだ残っているんだと思います。
今後、治療アプリの世界をどう創造するか
ーー治療アプリが実際に処方されている今、今後の目標や描く未来はあるのでしょうか?
特に、行動変容という分野にはアップデートが起きると思っています。誰でも生成AIにアクセスできるようになった時代、それをうまく使えばもっと人の行動は変えられると信じています。コンセプトのみならず、社会実装まで貫けるのがCureAppの強みなので、今後はぜひ取り組んでいきたいと思っています。
ーーこれからも挑戦は続いていきますね。会社はもちろん鈴木さんご自身の変化も楽しみです。最後にひとことCureAppに興味を持ってくださる方に一言お願いします。
CUREというバリューは、会社で働くメンバーをよく表していると日々感じます。
Chase ideal: 力を尽くして、前へ。
be Unique: 前例は、自らつくる。
be Responsible: 達成への責任。
Enrich your loved ones: 愛を持って周囲を豊かに。
社会を変革する挑戦を、一緒にしてみませんか?